【第1話】パート事務職員が正規介護職員を目指すまで

                              【所要時間】1

パート事務職員の私が、正規介護職員を目指すまで

 友人から「介護職の経験談を書いてみない?」と誘われました。
「私なんて、人様に読んでもらうような文章を書いたことないし、無理無理無理~!」と断っていました。

 でも、現在休職中で時間が比較的あることと、これから介護職を目指す方々や病院での介護職に興味のある方々の参考になればと思い、書くことにしました。

現在介護の仕事に従事されている方々にも「そうそう、あるよね~!」「うちの施設とぜんぜん違う!」と気楽に楽しんで読んでもらえれば嬉しいです。

自己紹介

私は、小さい頃から祖父母に可愛がられ、かなりのおばあちゃん&おじいちゃん子。

母方の祖父母は97歳・94歳、同居してた父方の祖父は98歳まで長生きしました。

私が高校~大学生の間に亡くなってしまいましたが、その時、何もできなかったことが唯一の心残りで、いつも心の片隅に引っ掛かりを持っていたんです。

学生時代はソフトボール部に所属し、身体を動かすことが大好き。
毎日練習に明け暮れ、真っ黒になっていました。

温厚で平和主義、真面目で前向きですが、頑固で融通がきかない性格です。
たまに、思いもよらない行動力を発揮し、周囲を驚かせます。

同い年の夫と25歳で結婚。
神奈川県で暮らし、自分はパートで営業事務の仕事に従事。

リーマンショックで夫が職を失い、紆余曲折を経て介護職を目指すことに。
パートの仕事をしながら学校に通い、ホームヘルパー2級(現:介護初任者研修)を取得。

東京にある療養型の病院に就職し、5年間勤めていました。
病院勤務中に介護福祉士も取得。

夫も新しい会社に就職でき、生活も安定してきました。
現在は、夫の転勤で静岡県で暮らしています。

介護の仕事は妊活のため現在休職中。

1.パート事務職員が正規介護職員を目指すまで

◎夫が主夫に、妻が大黒柱に… 

 私は25歳で結婚し、自宅近くの会社でパート事務職員をしていました。

赤ちゃんも欲しかったのですが、いずれかかるであろう出産費用と生活費の足しになればと軽い気持ちで働いていたんです。

 しかし、結婚してから1年が経とうとする頃、平凡だけど幸せな生活に暗雲が立ち込める出来事が起こってしまいました。

そう、2008年9月に起きた「リーマン・ショック」です!

アメリカのリーマン・ブラザーズと言う投資銀行が破綻した影響で世界的な金融危機が起こり、日本の経済もその煽りを受け不景気真っ只中となったのです。

 私は当時お気楽な兼業主婦で、世界動向などに興味もなく のほほんと生活していましたが、ある日夫が帰宅して、いつもと違う様子に「どうしたの?」と尋ねました。

「会社、クビになった…」

暫く、この言葉の意味が分からず、夫の顔を見つめるだけでした。

ようやく思考が動き出して考えたことが、「生活どうしよう!」。

私はパート職員なので月々のお給料は12~13万円。

家賃が8万円、食費が、光熱費が…△%☓◯~!!!

再び思考停止していました。

この時の頭から血の気が引いていく感覚は、今でもはっきりと覚えています。

その夜はなかなか寝付けず、翌朝になり「この不景気で次に新しい仕事が見つかるとは思えないし、私がしっかりしなきゃ。」と、ようやく正気を取り戻しました。

 まずは仕事と収入について考えないといけません。

現在の自分の手取りから考えて、これだけで生活できないことは明らか。

貯金も、現在250万円ほどで、切り崩すにも限りがあるし、将来の出産、養育費、老後のことを考えると、悠長なことも言っていられない。

この不景気で、夫の仕事がすぐに見つかるとも思えないし。

待遇面を考えると、私も正社員を目指さないとまずいな…。

しかも、この不景気の中でも安定している職種が一番。

このように色々な思いが自分の頭の中をグルグル回っていました。

その中でも「給料だけで仕事を決めてよいのだろうか?」という思いが大きかったようです。

 というのも、私がしていた事務職の仕事は、毎日同じことの繰り返しで、直接お礼を言われることもなく、自分がやっていないことに対してのクレーム対応がほとんどで、これといった「やりがい」も無かったからです。

日々仕事をしながら、「同じことばっかで、つまんないなぁ。一日長いなぁ。どうして、自分のミスじゃないのに文句を言われなきゃならないの?」と不平不満ばかりでした。

今思うと、夫のリストラのお陰で、自分自身を見直すことができたんではないかと思います。

こんなことがなければ、今まで通り「つまらん、いやだ」と不満を言いながら、ダラダラ働いていたでしょう。

それと、夫婦二人だけの暮らしだったことも不幸中の幸いでした。

妊娠していたり小さい子供がいたら、お金がかかるし、思うように動けないでしょうから。

介護職との出会い

 今まで転職なんて考えたこともなかったので、何から手をつければ良いか分からなかったのですが、せっかく正社員でバリバリ働くんだから、「手に職を付けられ、やりがいがあって、人の助けとなり感謝される仕事がいいなぁ。」と、今の仕事と正反対の職業を考えるようになりました。

学生の時代部活で怪我をし、お世話になったことがあった、リハビリのサポートをする理学療法士がいいなぁと思って調べてみると、授業料が高い、働きながら通えない、学校に3~4年通わなければならないということで、時間もお金もない私としては、やむなく却下。

看護師は、手に職を持ててやりがいもありそうだし、お給料も良さそうだけど、血が怖い。

注射針を人様に刺すなんて、自分の採血時に気分が悪くなる私には到底できそうにない。

などと、色々思いを巡らせていました。

 そんなある日、何気なく見ていたテレビで介護職員の密着ニュースが放送されており、いつしか真剣に見入っていました。

「こんな仕事があるんだ。そういえば自分のおじいちゃん、あばあちゃんが亡くなる時、何もしてあげられなかったなぁ…。」

「小さい頃に可愛がってくれた祖父母の最期、自分に介護の知識が少しでもあったら喜んでもらえたのかもしれない。」

「自分の親も、いつかこのようになるかもしれない、そうなった時に役に立てたらいいな。」

こんな気持ちが湧き上がり、見終わってすぐに介護職について調べました。

その当時、「ホームヘルパー2級」がメジャーで、介護職としてこの資格を持っていれば就職に有利ということでした。

(現在、ホームヘルパーの資格は廃止となり、介護職員初任者研修となっています)

しかも、パートの仕事を続けながら通えるし、費用や期間も許容範囲なので、今の私にぴったり。

介護福祉士は介護の実務経験が3年以上ないと受験資格がないのですが、これは働きながら受験資格を取得すれば良いということで、これを最終目標としましました。

となれば、家の近くで通えるヘルパー学校を探さねばなりません。

通信制の学校と迷ったのですが、一人だと不安になりそうだったので、スクーリングを主としている学校に通うことにしました。

正直、未経験で詳しい知識もない分野で自分がやっていけるのか、自分に向いているのか不安はありましたが、直感的に何か自信のようなものがあったような気がします。

また、切羽詰まって迷う余裕もなく、「下の世話くらいなんじゃい!」的な、変なイケイケモードだったことは確かです。

夫のクビ宣告から数週間、次は、私の職場にも暗雲が立ち込めてきました。

派遣さんが次々に契約を切られはじめ、職場全体が「明日は我が身」と戦々恐々としてきたのです。

「まずい、早くしなきゃ」

「もう後戻りはできない、やるしかない!」

私は目標に向かって走り出しました。

そして、今まで自分が知らなかった介護の世界・現実を思い知ることになるのです。

第2話「介護学校での体験、出会った人々」へ続く

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